名前が付くと、仲間が集まってくる。KADOKAWA編集者・野本さんが本に込めたもの

「仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢」(KADOKAWA、2024年)。この本を手がけたのは、KADOKAWAの編集者である野本有莉さん。野本さんの方から「本にしたい」と、当時ほとんど無名だったキャリアブレイク研究所の代表・北野に声がかけられた。そのきっかけは、彼女自身がキャリアブレイクの真っ只中にいた時期にさかのぼる。

アイルランドで見つけた、自分の状態の名前
野本さんは新卒でアパレル通販会社に入社し、3年目に編集者へ転身。海竜社、文響社を経て、KADOKAWAは3社目の出版社になる。
文響社を辞めたのは、コロナ禍の3〜4年目。リモートワークが当たり前になり、出社という「当たり前」があっさり覆るのを目の当たりにした時期だった。
当たり前だと思ってたことが、こんなに簡単に変わるんだっていう、パラダイムシフトみたいなものを初めて体験したなと私は思っていて。
学生時代からずっと温めていた留学の夢。コロナで海外渡航のハードルが上がる一方で、「いつ人生が終わるかわからない」という感覚も重なった。文響社でやりたいことはやり切った実感もあった。会社を辞め、アイルランドへ語学留学に旅立つ。仕事を探さないまま、無職として海を渡った。

10ヶ月ほどの離職期間を、野本さんはこう振り返る。
社会に出てから定年まで常に働いてないといけないとか、一社に就職したらずっとそこにいるとか。よくある当たり前っぽいレールみたいなものを、相対的に見れるようになりました。意外とそれ以外の生き方をしてる人ってたくさんいるし、大多数の道からちょっと外れてみても、そんなに怖くない。
留学生活は楽しい一方で、ホームシックや「このまま遊んでいていいのかな」という不安もあったという。そんな時に偶然出会ったのが、キャリアブレイク研究所の note だった。

この期間に名前が付くっていうのを知って。無職以外の言葉を知らなかったんですけど、キャリアブレイクって名前が付くと、ちょっと安心できたというか。他にもたくさん同じような立場の人がいる。今はそういうブレイク期間なんだって自分の中で定義をつけられたことで、安心感があったんですね。
名前がつくと、同じ経験をしている人の情報も集めやすくなる。当時すでに、休職や離職などさまざまな事情で一時的に働けない人、働きたくても働けない人が周りに多いだろうと感じていた。「ぜひこれは本という形で悩みながら働いている人に広めたい」——それが企画の出発点になった。
「無職」ではなく「キャリアブレイク」という選択肢を届ける
帰国し、KADOKAWAに転職した野本さんは、割とすぐにこの企画を立ち上げる。神戸まで北野に会いに行き、1冊目の担当書籍としてキャリアブレイクをテーマに選んだ。
社内での企画会議では、休職・離職をめぐる本というジャンル自体はすでに認識されていた。「そこまでメジャーじゃないにしても、転職本の新しい切り口として可能性がある」という上長の理解もあり、企画が通った。
野本さんが最初から明確に意識していたのは、「ビジネス書として作りたい」ということだった。
キャリアブレイクという文化を広めることよりも、、本という形にするならば、読者が読み終わった後に具体的なメリットを感じられるものにすることを第一優先にしたいと思いました。読み終わった時に、仕事で悩んでいた読者が何か新しい可能性に気づけるような、そういう価値を作りたかった。転職とか休職とか、働いてて大変だって悩んでる読者が読んで、こういう道もあるって希望を感じてほしかったんです。」
キャリアブレイクという言葉を知ることで、同じように悩んでいる人がいると気づくこと。また働かない時期を、自分の人生の中の一つの時期として相対化して見られること。それが野本さんの狙いだった。

印象に残っているエピソードとして、野本さんは本の中の人事インタビューの章を挙げる。
キャリアブレイクをしたことをどう見るかで、その会社の人事の価値観がわかる。合うところは合うし、合わないところは合わない。でも合うところがあるならそれでいいんじゃないか、と割り切ることができる。
正規の転職ルートを経ない社会への再接続のエピソードも印象的だったという。「正規の入り口だけじゃなくて、バイトからや、知り合いの紹介などいろんな入り口がある。それは自分が試してみないとわからないものなんだな」と思ったそう。
刊行から2年半。野本さんはいま、当時入れられなかった声にも関心を向けている。40代以上のキャリアブレイク経験や、より多様な事例——読者から一番多く寄せられたのも「40〜50代のことを知りたかった」という声だった。
本が出てから、文化圏が「見える化」した
野本さんが本を出してから感じた最も大きな変化は、「人が集まってくる」ということだったという。

名前がついたことで、みんな手を挙げやすくなったというか。『私も』とか。本が出てから、そういう文化圏がより見えるようになったと思います。
同時に、世代による感覚の違いも見えてきた。若い世代の方が、もっと素直に、簡単にキャリアブレイクを取っている。「若い世代から広まってきた動きなのかな」と野本さんは感じている。積み上がるものが大きくなるほど、手放す決断は怖くなるのかもしれない。
一番嬉しかった反響を聞くと、野本さんは「今休職中です」という当事者からの感想を挙げた。
自信満々で休職する人はいないと思います。みんな不安を持って休職に入る。そういう人のための本を作れたのはよかった。慰めるとかではなくて、今はこういう時期で、他にも同じような人がいる。休むことによって、自分自身の何かが毀損されることはないと。そういうふうに受け取ってもらえたら。
キャリアブレイクをとることを一言で言うと、と問われて野本さんはこう言い換えた。
ただ受け入れるというか、ただそういう時期なんだって認めるということ。別にいい悪いとかじゃなくて、今そういう時期だよねっていうだけ。
痩せ我慢を減らすこと
キャリアブレイクが社会の文化になっていく価値とは何か。野本さんの答えは明快だった。
痩せ我慢してる人を減らすっていうのが一番の価値な気がしていて。本人が望んでいれば多少の無理はいいと思うんですけど、本当に嫌だ嫌だって、人が休むのをうらやましく感じてしまうような状態であるなら、一度立ち止まってもいいと思う。
休んでいる人を「最近の若者はすぐ休職する」と苛立つ人がいるとすれば、それはその人自身が頑張りすぎているのではないか、と野本さんは見る。「気軽に休んで、気軽にまた戻れる。そういう社会になるために、キャリアブレイクは一役買うんじゃないかな」
ただしこの取材の中で、北野からは「頑張るのをやめるのが怖い」という実感もコメントした。それに対して野本さんが返した言葉が、この記事のもう一つの核になる。
痩せ我慢をやめるっていうより、今やってることにどれくらい納得していますか、みたいなことかもしれないですね。全員が自分の好きで、得意で、やっていて気持ちがいいことを納得して仕事にできたら本当は一番いい。定年まで頑張って我慢するとかではなくて、自分が本当にやりたかったこと、心地よいことって何だろうって探って少しでもそこに近づく期間に、キャリアブレイクがなると思います。
「今やってることにどれくらい納得していますか」——そう聞かれて即答できる人が、どれだけいるだろうか。野本さん自身は、この問いに対して、その調整を常にしてきたから転職が多かったのかもしれない、と明かした。
文化になっていくために、必要なこと
最後に、キャリアブレイクが本当に文化として根付いていくために何が必要か、野本さんに聞いた。
お互い自分の経験とか、自分の気持ちを話して共有するってことが一番大事な気がしています。キャリアブレイク中の人もそうじゃない人も、ここに違和感があるとか、今ちょっと実は辛いんだよねとか。自分の気持ちを言葉にして、近くの人にシェアする。SNSに書いてみるのもひとつのやり方です。

情報が一方的に流れ込んでくるだけでは、自分にとっての正解が見えなくなる。「世間が『これだ』って言ってくるものを、自分の欲望だと思いやすい社会だと思います」。だからこそ、自分の言葉で、自分の状態を語ってみることが必要になる。
キャリアブレイクという選択肢も、自分にとって必要なら取ればいいし、そうじゃないなら別にいらない。でも取った人が、レッテルみたいなものを貼られる社会は嫌だなと思います。無職というと自虐的なニュアンスがあると思うんですけど、そうじゃない、もうちょっと普通のフラットな選択肢だよっていうふうに広がっていったらいいな。
留学先で偶然出会った一つの言葉が、自分の状態を説明する術になった。その体験を、今度は本という形にして、また別の誰かに手渡す。野本さんが編集者としてやってきたのは、結局そういうことなのかもしれない。
2026年08月06日
PARTNER

KADOKAWA
野本有莉
KADOKAWA編集者。2012年、新卒でアパレル通販会社に入社。3年目に編集者へ転身し、海竜社、文響社を経て、現在はKADOKAWAで4年目。翻訳書や人文書、エッセイなど幅広いジャンルの書籍編集を手がける。コロナ禍に文響社を退職し、かねてからの夢だったアイルランドへの語学留学へ。10ヶ月の離職期間を経て帰国し、KADOKAWA入社後まもなく、留学中に出会った「キャリアブレイク」という言葉を本にしたいと企画。「仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢」(KADOKAWA、2024年)の編集を担当した。
WRITER

北野 貴大
代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所
2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。
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