大学の「へり」に、外気を通す

ひとりの大学職員が10年以上つくり続けてきた余白
京都大学の昼休みに、「お昼の校内放送」と呼ばれている時間があるのですが、名前だけを聞けばキャンパスのスピーカーから音楽や声が流れてくる光景を思い浮かべるかもしれないものの、実際には昼休みの35分ほど、オンラインで誰かの話を聞く小さな集まりで、参加したからといって発言を求められるわけでも、そこで得たものを仕事に生かすよう求められるわけでもなく、企画している京都大学職員の松山さん自身、「もう割り切って、聞き流してもらえたらいい」というくらいの気持ちで続けている。
以前、この校内放送に参加させてもらったとき、私はなぜか小学生の頃の給食時間を思い出していて、放送委員が音楽を流したり、誰かが話したりするあの時間は、授業ではないけれど休み時間とも少し違い、一日のなかにぽつんと置かれた、何かを達成しなくてもよい時間だったのだと、ずいぶんあとになって気づいた。
大人になって働くようになると、こうした時間は少しずつ少なくなり、昼休みでさえ仕事の続きを考えていたり、学ぶなら何のために学ぶのかが求められ、誰かに会うならその理由を説明し、休みを取るなら「何をするのか」を考えるようになっていくけれど、では働く時間のなかに、目的や成果から少しだけ離れる場所を残しておくことはできないのだろうか。
松山さんの活動について話を聞き始めると、最初に意外だったのは、これが大学の研修制度として行われているものではないということで、本人は何度も「趣味です」と言い、大学院に通ったことをきっかけに自主的に始めた研修会を10年以上続け、そのあいだに自分が話すだけだった会から、学内の職員や教員を呼ぶ場へ、さらに大学の外の人を招く場へと少しずつ姿を変えながら、夜の研修会、昼の校内放送、初対面に近い人を数人だけ集める小さな会などを、その時々の必要に応じて増やしてきた。
話を聞いていると、これは単に「面白い研修をつくる人」の話ではないことが次第にわかってきて、大学で働く人は大学の外とどうつながるのか、大きな組織のなかで人が行き詰まらないためには何があればよいのか、仕事とは直接関係のない人と知り合うことにはどんな意味があるのか、そして、制度として休めることと実際に休めることのあいだには何があるのかという問いが、いくつもの活動の底でゆるやかにつながっていた。
その話のなかで、何度か出てきたのが「へり」という言葉だった。
組織には内側と外側があり、そのあいだにある「へり」を誰が、どのようにつくるのかということを、松山さんは長いあいだ考えてきたという。
「ここ、大学でしょ?」と思ったこと
松山さんが自主的な研修会を始めたきっかけの一つは、働きながら大学院へ進学した経験にあり、大学院へ行きたいと職場で話したとき、「大学院で何をするの」「なぜ行くの」と周囲から尋ねられたことがあったというのですが、それは決して否定するための言葉ではなく、ごく素朴な疑問として投げかけられたものだったにもかかわらず、松山さんのなかには少し引っかかるものが残った。
「ここ、大学でしょ?と思って。なんで大学の人が学びに行くっていうことに対して、『なんで?』ってみんな疑問提示するわけ?って」
大学という場所は、社会のなかでもとりわけ学ぶことと近いはずなのに、そこで働く職員にとっては、学ぶことが日常の延長にあるわけではないということを、そのとき改めて感じたのだという。
ただ、松山さんは「学ぶ」という言葉をそのまま使うことにも少し違和感があったようで、勉強というと何かを覚えたり、資格を取ったり、仕事に役立てたりすることを思い浮かべてしまうけれど、もっと手前にある「知らなかったことに触れる」「少し刺激を受ける」といったことがあってもよいのではないかと考え、大学院へ行くにはお金も時間もかかるのだから、そこで自分が得たものを職場の人に話せばよいのではないかと思った。
そうして始めたころは、大学院で学んだ統計や組織について自分一人で話していたそうで、大学の授業は90分を15回ほど続けるのだから、それくらい話すにはどれほどの知識が必要なのだろうと考えながら、まずは自分の持っているものを出していたというのですが、当然、何度も続ければ話すことは尽きてくるし、そもそも自分の話を聞いてもらうことが目的ではなかったことにも気づいていった。
「参加者同士が知り合ったりとかすればいいなと思ってたんで、ゲストを呼ぼうって、だんだん変わってきました。」
そこから先輩職員を呼び、教員を呼び、その人自身の仕事や考えていることを聞くようになり、やがて大学の外にいる人にも声をかけるようになっていった。
松山さんは、ゲストを招くときに「仕事について説明してください」とは頼まず、仕事はあくまでその人を知る入り口として、なぜその仕事をしているのか、何が面白いのか、何に苦労しているのかといった、その人自身の話を聞きたいのだと言い、これまでのなかで特に記憶に残っている回はあるかと尋ねると、「全部」と答えた。
「みんなそれぞれにストーリーがあって、思いがあって、それを掘り下げるだけでもネタとしてはすごく楽しい」
参加人数が多いから成功というわけでもなく、自分が話を聞きたいと思った人を呼び、その人から聞きたかったことを聞くことができれば、それだけでも自分にとっては「成功」なのだという。
この活動が仕事ではなく趣味として続いていることは、案外大切なことなのかもしれず、仕事で研修を企画するなら多くの人に役立つテーマを選び、参加人数を増やし、成果を説明する必要が出てくるけれど、松山さんは「仕事でやると、どうしてもみんなが興味あるとか、みんなのためになるようにって考えちゃう。それをすると、ふわっとしちゃうから」と言い、万人に届くものよりも、誰か一人には強く引っかかるものを置いておきたいと考えている。
行き詰まったときに、次へ行ける場所を知っていること
研修会を始めた背景には、学ぶことへの関心とは別に、もう一つ、松山さんのなかに長く残っている経験があり、それは大学職員になって間もないころ、休職している職員の事務手続きを担当していたことだった。
大きな組織なので休職している人も一定数おり、診断書が提出されれば必要な手続きをして、期間が来ればまた更新するという仕事を繰り返すなかで、同じ名前を何度も目にするのに、「この人、一回も見たことないな」と思ったことがあったという。
書類の上では知っているけれど、その人自身には会ったことがなく、一度休職の状態に入ると長く続くこともあるのを目にしながら、松山さんは、そうなる前に何かできることはないのだろうかと考えるようになった。
だからといって、職場の問題を完全になくせるとは考えていない。
ハラスメントはなくすべきだとしても、人と人が一緒に働く以上、予期しない負荷や相性の問題は起こり得るし、災害対応のように、誰かが悪いわけではなくても人に大きな負担がかかることもあるため、問題そのものをゼロにするだけを目標にするのではなく、何かが起きたときに別のところへ行ける「避難経路」を持っておくことが必要なのではないか、と松山さんは考えた。
この「避難経路」という言葉を聞くと、それまで別々に見えていた活動が、少し違って見えてくる。
普段の部署とは違う人と知り合っていること、仕事とは直接関係のない世界を知っていること、困ったときに「この人なら何か知っているかもしれない」と思える相手がいることは、それだけで問題を解決するものではないけれど、自分の前に一本道しかないと感じたときに、別の方向へ動ける余地を残してくれる。
松山さんが後半で話した「やったことがないからできないを減らしたい」という考えも、その延長にあり、大きな組織では自分の部署では初めての仕事でも、別の部署ではすでに誰かが経験していることがあり、その人を知っていれば「どうやったんですか」と聞くことができるけれど、知らなければ、一から自分で調べ、考えなければならない。
「やったことある人に聞けたら、だいぶ楽に」
人と知り合うというと、交流やコミュニケーションの話になりがちだけれど、それだけではなく、仕事や生活のなかで行き詰まったときに、次へ進む経路を増やしておくことでもあるのだと思う。
大学の「へり」に、誰がいるのか
松山さんが学外の人を研修会へ招くようになった背景をたどっていくと、大学院時代に考えていたという「大学という組織のへりをどうつくるか」という話に行き着き、大学は当然社会とつながっているけれど、その境界に立っているのは多くの場合、教員や学生であって、大学を支えている職員はそこにほとんどいないのだという。
大学職員の仕事は、外から見るとさまざまな企画や地域連携に関わっているようにも見えるけれど、松山さん自身は「日中の95パーセント」は文部科学省から届く通知や法令を読み、それを組織の仕組みに落とし込んだり、ルールをつくったりするような仕事だと話し、それは大学を動かすために欠かせない仕事である一方で、それだけを続けていると、自分たちの仕事が社会のなかでどのように役立つのかが見えにくくなることもあるという。
特に若い職員のなかには、「大学職員を続けていても転職できないのではないか」「外で通用する力が身についていないのではないか」と不安を感じる人もいるそうで、もちろんそう感じる理由は実際にあるのかもしれないが、松山さんは、その半分くらいは「自分たちの仕事が社会でどう生きるのかを、わかっていないだけなのではないか」と考えている。
だから、まず大学の外に誰がいるのかを知る。
「大学のへりには誰がいるのか知ろうよ」
というのである。
大学には外部の専門家も多く関わっており、発明を特許にするなら弁理士が入り、専門性の高い仕事には、それを担う人を外から招くことができるのですが、組織としては合理的であっても、専門家が大学と社会の境界を引き受けてくれるほど、一般の職員自身は外と直接関わらなくても仕事が成り立つようになる。
「専門集団が外側のへりを固めてしまうから、やんなくていいんですよ。大学のことなのに」
必要な仕事を専門家に任せることで効率は上がるけれど、その結果、大学の内側にいる人にとっては外の世界がかえって遠くなることがあるという話は、大きな組織で働く人なら、大学に限らず少し思い当たるところがあるのではないかと思う。
松山さんが外部の人を校内放送に招いたり、学外のイベントに職員を連れていったりするのも、その壁を大きく壊すためではなく、少しだけ薄くするためで、テーマを選ぶときにも、大学職員の仕事そのものを扱うのではなく、「大学のへりに擦るかどうか」を一つの基準にしているという。
図書室の話なら、本があることで人が集まるという大学との接点があり、ファシリテーションなら、職員が会議を進行する機会は少なくても、人の意見を聞いてまとめる場面はあるというように、仕事のど真ん中ではないけれど、少しだけつながっているところを探す。
そのくらいの距離が、ちょうどいいらしい。
松山さんは、自分が外のイベントへ出かけて、次に呼びたい人やテーマを探すことを「仕入れ」と呼び、「仕入れしないと売れないじゃないですか」と笑うのですが、もちろん商売をしているわけではなくても、外へ出て知らないものに触れなければ、内側へ新しいものを持ち帰ることもできないという意味では、実にわかりやすい言葉だった。
大学の「へり」をつくるというと、大きな産学連携や地域連携の仕組みを想像してしまうけれど、日々の仕事とは少し離れたところへ出かけ、そこで見つけた人や考えを自分の職場へ持ち帰るという、小さな往復もまた「へり」をつくることなのだろう。
縦でも横でもない、「斜め」の関係
大学の外とのつながりと並んで、松山さんが何度も話していたのが、組織の内側にいる人同士の関係で、京都大学のような大きな組織には上司と部下、先輩と後輩という縦の関係があり、同期という横の関係も比較的強い一方で、そのどちらでもない「斜め」の関係をつくることは難しいという。
「縦と横はしっかりあるんですけど、斜めを作るのが、その分結構難しくて」
部署も違い、年齢も少し違い、普段一緒に仕事をするわけではないけれど、顔くらいは知っていて、廊下やオフィスで会ったら軽く頭を下げることができる。
「オフィスで会ったときに、ペコってする人の数が増えたらいいなと思って」
親しくなりすぎなくてもよく、何度も食事に行く必要もなく、ただ「あの人を知っている」と思える人が少しずつ増えることが、松山さんの考える働きやすさの一つなのだという。
一見すると、それが仕事に直接何の役に立つのかわかりにくいのですが、大きな縦割り組織では、「この資料はどこにあるのか」「この手続きは誰に聞けばよいのか」という小さなことで仕事が止まることがあり、正式な担当者をたどるだけでは答えに届かないときに、「あの人なら知っているかもしれない」と思える相手がいることが、案外大きな助けになる。
松山さんが使った「いいたらい回し」という言葉も面白く、問い合わせを受けて「うちではありません」と言って終わるのではなく、「それなら、あの人に聞いてみたらどうでしょう」と次へ渡すことができれば、担当外のことに手を出せない組織であっても、人はそこで立ち止まらなくて済む。
この「次に誰へ渡すかを知っている」ということは、最初に出てきた「避難経路」ともどこか似ていて、何かが起きたときに自分一人で解決できなくても、次に行く場所を知っているだけで、一本道だったものが少し広がって見える。
松山さんがつくっている会のなかには、ほとんど初対面の3人ほどを指名して集め、その人たちだけで話してもらうものもあり、自分自身は3人全員を知っているけれど、できるだけ口を挟まずに、少し気まずそうに自己紹介を始めるところから眺めているのだという。
沈黙が生まれても、「ちょっとぐらい無言になってもOKですよ」と待っていると、やがて一人の話に別の一人が質問をし、また別の人が違う角度から尋ねることで、1対1では出てこなかった話が自然に現れてくる。
「その人の自然状態とか、守備範囲がどんな感じなのかに興味があるんです」
役職や担当業務だけではない、その人の全体が少し見えてくることを、松山さんは楽しんでいる。
ここまで話を聞いても、松山さんは「若い職員を育てたい」とか「大学を変えたい」といった大きな言葉をほとんど使わず、むしろ、「私はいい環境で働きたいので、そのいい環境を自分で作ってるぐらいのイメージなんです」と言う。
自分自身もその組織で働く一人なのだから、自分が少し働きやすくなるように、人と人のあいだに細い道を増やしていく。
最初から完成した考えがあったわけでもなく、「12年やる中で揺らぎながら、なんかこうかなって思ってるぐらい」で、自分が話すところから始まり、ゲストを呼び、オンラインを使い、外部の人を呼ぶようになり、昼の校内放送が始まったという。
28歳ごろに始めた活動を40歳になった今も続けているなかで、自分自身の立場や周囲との関係も変わり、若手の少し上の先輩として始めたころとは違い、20代から見ればずいぶん年上になったことを感じるという話もしていたけれど、これからどう変えていくかについて明確な計画があるわけではない。
それでもよいのだろうと思う。
人や環境が変われば、場も変わっていく。
活動そのものが少し余白を持っているからこそ、これだけ長く続いてきたのかもしれない。
何もなくても、休んでいいのではないか
話の終わりごろ、キャリアブレイクについて話しているうちに、松山さんが「みんなもっと休めばいいのにと思うんですよ」と言ったのですが、ここで言う休みは、長期の休職やサバティカルのような大きなものではなく、もっと日常に近い、半日や一日ほどの休みだった。
「意味もなく休暇を取ればいいのに」
月に一度、特に予定がなくても休む。
午後だけ休んで、美術館へ行く。
京都大学から岡崎公園までは歩いて行けるのだから、平日の午後にふらっと行ってもいい。
制度としては休めるのに、人はなかなか休まない。
なぜなのだろうと話していくと、上司に休暇を申請することそのものが面倒なのかもしれず、「何をするの」と聞かれることを想像してしまうのかもしれず、あるいは誰に言われなくても、自分自身が休むための理由を必要としているのかもしれない、という話になった。
松山さんは、「休み取ってから考えたらいいのにと思うんですけど」と言い、自分の場合は、「この日が空いているから休もう」と先に休暇を入れ、そのあとで催し物を探すこともあるという。
考えてみれば、私たちは「旅行へ行くから休む」「病院へ行くから休む」「家の用事があるから休む」と、休みの前に必ず目的を置こうとすることが多く、そのため何も予定がなければ休まず、せっかく休んだ日にも「有効に使えたか」を考えてしまい、天気が悪くて予定していたことができなければ、「せっかく休んだのに無駄だった」と思う。
松山さんは、その感覚を「無駄撃ちしたくないんだろう」と表現した。
けれど、本来、休むことに成果は必要なのだろうか。
この問いは、制度を整えるだけでは答えられない。
有給休暇があることと、人が自然にそれを使えることは同じではなく、だから話は「制度」と「文化」の違いへと進んでいったのですが、松山さん自身もどうすれば文化が変わるのかという答えを持っているわけではなく、「何か突発的に来たら変わるんだろうな」と話していた。
実際、働き方は計画して変わるだけではなく、思いがけないきっかけで変化してきて、メール中心だったやりとりがチャットへ移り、Word中心だった文書作成がGoogleのツールへ変わることで、いつの間にか働く場所や時間の感覚も少しずつ変わってきた。
文化も、それと少し似ているのかもしれない。
「文化を変えましょう」と掲げたから変わるのではなく、ある日誰かが平日の午後に休み、別の誰かがそれを見て自分も休み、いつの間にか「それくらいなら休んでいい」という感覚が広がっていく。
そう考えると、お昼の校内放送もまた、制度というより文化に近い。
参加を義務づけず、成果も求めず、聞き流してもよく、仕事に直接役立つものでなくてもよく、35分ほど聞いて、もう少し知りたければ自分で調べる。
松山さんは、すべての人がいつも学びたいわけではないと言い、知りたい時期もあればそうでない時期もあるのだから、必要になったときにそこにあることのほうが大切なのではないかと考えて、校内放送のアーカイブも残している。
キャリアブレイクという言葉も、20代ではほとんど引っかからなかった人が、30代後半になれば違って聞こえるかもしれない。
必要になる時期は、人によって違う。
だから、いつでもそこに置いておく。
松山さんとの話を振り返っていると、「余白」という言葉だけでこの活動を説明してしまうのは、少し違うようにも思えてくる。
余白というと、何もしない時間や、ぽっかり空いた場所のように聞こえるけれど、松山さんが10年以上してきたことは、むしろとても具体的で、外へ出て人を探し、面白いと思った人に声をかけ、35分という長さを決め、知らない人同士を同じ場所へ呼び、仕事とは少し距離のある話を聞き、必要になったときに誰かが見つけられるようアーカイブを残してきた。
そこには共通して、「今いる場所しかない」という状態を少しだけ崩すような働きがある。
仕事しか見えていなければ、知らない人の話を聞く。
自分の部署しか見えていなければ、斜めの人と知り合う。
大学の内側しか知らなければ、「へり」まで出てみる。
予定がなければ休めないのなら、先に何もない休みを入れてみる。
どれも大きく人生を変えるようなことではないけれど、今いる場所と少しだけ距離を取ることではある。
キャリアブレイクについて考えていると、どうしても仕事を離れる時間に目が向きやすいのですが、松山さんの話を聞いているあいだ、働き続けている時間のなかにも、自分のいる場所を少し外側から眺められる時間はつくれるのではないか、と考えるようになった。
それを「小さなキャリアブレイク」と呼ぶ必要があるのかどうかはわからない。
ただ、昼休みの35分でも、いつもなら会わない人との会話でも、午後半日の休暇でも、仕事との距離がほんの少し変わることはある。
そして、そうした小さな経路がいくつもある組織と、一本道しかない組織とでは、人が行き詰まったときに見えるものは、きっと少し違う。
「私はいい環境で働きたいので、そのいい環境を自分で作ってるぐらいのイメージなんです」
松山さんは、制度をつくる人としてこの活動をしているわけでも、組織改革を掲げているわけでもないけれど、10年以上、人を呼び、つなぎ、外へ連れ出し、昼休みにいつもとは違う話が流れる時間をつくり続けている。
大学の「へり」に、小さな穴をあけておく。
普段、その穴の存在を気にする人はほとんどいないかもしれないけれど、いつか誰かが少し息苦しくなったとき、そこから入ってくる外の空気に気づくことがあるのではないか。
そんなことを、この話を聞き終えたあとに考えた。
2026年08月18日
PARTNER
松山祐輔
京都大学事務職員/中小企業診断士
新卒で入職後、総務・経理・産官学連携・研究推進等の部署を異動しながら業務を経験。また、入職7・8年目に公共政策大学院に進学し、行政職員と大学職員との比較研究に取り組む。その後、中小企業診断士の資格を取得。 業務のかたわら、目的や成果に縛られない自主的な研修会を10年以上継続。仕事や組織から少し離れて学内外の人々と出会える場所をつくり続けている。
WRITER

卜部 小夜子
月刊無職, mada books運営 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所 理事
2020年合同会社うみのなか商店設立。障害の有無にかかわらず、"誰もが健康的にはたらく暮らしができる社会"を目指し、おしゃべりできる図書室「あかり図書室」、就労事業所とともに世界に通用するブランドをつくる「北浜縫製」を運営。2022年より一般社団法人キャリアブレイク研究所に設立時理事として関わり、離職・休職をポジティブに捉える「キャリアブレイク」を文化にする活動を行う。毎月6日に発刊する『月刊無職』、"まだの時間"を楽しむ書店「mada books」の企画運営を担当。精神保健福祉士、就労福祉ワークデザイナー、産業カウンセラー。
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