人が動くとき 会社も動く 「ええやん どうしたらできる」から始まる企業文化

働きながら、自分の人生に生まれた新しい関心へ手を伸ばすことはできるだろうか。
声優になるために東京へ通いたい。好きなアニメに関わる商品を、自分の手でつくってみたい。秋の連休に一週間から十日ほど休み、北海道をバイクで巡りたい。働く人がそんな希望を口にしたとき、大阪で印刷とパッケージの仕事を続ける会社の社長、孝橋氏は、まず「ええやん」と応じてきた。そして、そのあとに続くのは、「今の仕事と、どうしたら両立できるやろう」という問いだった。
この会社には、人生の節目を支えるための特別な名称をもつ休暇制度はなく、社員の希望を実現するための一律の手順よりも、一人が「こうしたい」と話したときの対話がある。その言葉を出発点にして、本人が仕事の組み方を考え、周囲や顧客と相談し、会社も一緒に実現の道を探していく。そこで動くのは社員の予定だけではなく、時間の使い方や役割の分け方、仕事を成り立たせてきた会社の側でもある。
約三時間にわたる対話の中で、孝橋社長は、自社のあり方を何度も「ふわっとしている」と表現した。経営の方法を説明するための整った言葉でも、他社へそのまま移せる仕組みでもなく、長い時間をかけて試し、やめ、残してきたものが、いまの会社の空気をつくっているという意味での「ふわっと」である。ただ、その語りをたどっていくと、商品づくりにも、社員との関係にも、共通して流れる考え方が見えてくる。相手がすでに持っているものをよく見て、喜びが生まれる方へ仕事を動かすこと。その人を会社の決めた形へ近づけるより、その人の好きなことや得意なことが自然に表れる余地を残すこと。孝橋さんの「ええやん」は、何でも受け入れる軽い返事ではなく、目の前にいる人から仕事を考え始めるための言葉だった。

箱をつくる会社が 買っていただくを考え始めた
会社の始まりは、お酒や化粧品の瓶などに貼るシールの製造だったという。戦後、海外から箱に入った化粧品が入ってくるようになると、国内の顧客から「箱はつくられへんのか」と声がかかった。印刷した紙を形に抜き、糊で貼るという工程なら、周囲の協力会社の力も借りながら形にできる。そうしてシールからパッケージへと仕事が広がり、二代目の時代には、よいものを早く、安くつくってほしいという顧客の要望に応えるために、設備を整え、人を採用し、会社の規模も大きくなっていった。
孝橋社長が会社へ戻ったのは、およそ二十年前である。それ以前は自動車関係の仕事をしており、本人の言葉を借りれば、デザインも企画も「マーケティングのマの字も」知らなかった。顧客のもとを回ると、どの会社でも聞こえてきたのは、「うちの商品が売れへん。どうしたら売れるんやろうか」という声だった。パッケージをつくる会社に商品の売り方を尋ねられても、すぐに答えは出ない。ただ、顧客の商品が買われなければ、その商品を包む箱の仕事も生まれない。孝橋さんにとって、顧客の困り事と自社の仕事は、すでに切り離せないものになっていた。
そこで手に取ったのが、『パッケージ戦略110箇条』という本だった。内容を読み込み、参考にしながら展示会の見本をつくっていると、偶然その著者の勉強会を主催する人物がブースを訪れた。その縁から商品開発の勉強会へ通い始め、企画やデザイン、マーケティングとは何かを学び、聞いたことを自社の仕事へ置き換えていった。
その勉強会で、先生から繰り返し問われたことがある。
「ええ商品をつくりなはれ」
では、ええ商品とは何か。答えは、「喜ばれる商品」だった。喜ばれる商品とは何かとさらに尋ねると、「人様のお悩み事とお困り事を解決する商品や」と返ってきた。そして、商品を考える孝橋さんに、先生はこう言ったという。
「もう金輪際、『売れる』という言葉を使うな。買っていただくんや」
「売れる」を主語にすれば、つくった側が、自分の商品を市場へどう動かすかという話になる。「買っていただく」を主語にすると、目の前の人が何に困り、何を必要とし、どんなときに手を伸ばすのかを考えることになる。わずかな言葉の違いが、商品を見る向きを変えた。
孝橋社長は一度、自分たちでデザインした箱を量販店へ持ち込み、販売しようとしたことがある。三百円ほどで店頭に並べるなら、納入価格は百円ほどになると言われた。そこから製造費を引けば利益はわずかで、何のためにつくるのかも見えにくくなった。振り返ると、それは「箱を売って、自社の売上と利益をつくりたい」という、自分たちの困り事から生まれた商品だった。孝橋社長は、その経験を「あんたの悩みを解決するのに、あんたが自分でつくって悩んで。あきまへんな」と笑いながら話す。誰かの困り事に出会う前に、自分たちが売りたいものを置いていたのだと気づいたのである。
この気づきは、その後の会社の仕事だけでなく、人との向き合い方にもつながっていく。自分が用意した答えへ相手を動かすより、その人の側にすでにある希望や困り事から考え始める。孝橋さんの会社で、商品づくりと働き方が同じ方向を向いているのは、この「買っていただく」という言葉を通ってきたからなのだと思う。
社会課題という一つのテーマから 学生たちが仕事を動かした
自社の商品をつくりたいという思いは生まれたものの、新しい事業のために人を採用し、その人のこれからに責任を持てるほど、当時の会社には余力がなかった。製造設備はある。やりたいこともある。そこで孝橋さんが一緒に取り組む相手として選んだのが、これからのミライや社会をつくっていく学生たちだった。
産学連携で学生に渡したのは、「社会課題を解決する印刷製品」という大きなテーマだけである。誰の話を聞くのか、何をつくるのか、市場をどう調べるのか、どのように伝え、必要な資金をどこから集めるのかは、学生たちが考えた。認知症のある人とともに使うカードゲーム、視覚障害のある人のためのシール、聴覚障害のある人に関わる製品などが、そこから形になっていった。
学生たちはヒアリングや市場調査を行い、試作品をつくり、広報までを担った。製造資金が必要になると、「クラウドファンディングでもええんとちゃいます」と声を上げ、実際に資金調達まで進めていく。孝橋さんは、その軽やかさを「軽いけど、やっちゃうんですよね、彼らね」と話す。若い人にビジネスやマーケティングができるかを大人が先回りして決めるより、テーマを手渡し、考える余地を残せば、自分たちの想像を超えるところまで進んでいくことを知った。
自分たちの箱をつくって売ろうとしたときには、なかなか手に取ってもらえなかった。一方、誰かの困り事を聞くところから始まった製品は、必要とする人に買ってもらえた。勉強会で聞いた「人様のお悩み事とお困り事を解決する商品」という言葉が、学生たちとの仕事を通じて、初めて実感を伴うものになった。
ここで孝橋さんが見たのは、製品が売れたという結果だけではない。自分が細かな道筋を示さなくても、人は自分の関心から問いを見つけ、周囲に話を聞き、必要な人を巻き込み、仕事を前へ動かせるということだった。孝橋さんは、学生に「ああせえ、こうせえ」とは言わず、好きなこと、得意なこと、興味や関心のあることを使い、それによって周りの人に喜んでもらえるなら、「幸せな仕事になるんちゃうか」と話してきた。
売上と利益を積み上げた先に幸せを置くのではなく、自分の好きなことや得意なことを使い、誰かに喜んでもらい、その喜びに応じた対価が戻る循環をつくる。孝橋さんは、「それで回ってたら幸せやんか」と言う。この言葉は、経営の現実を脇へ置くものではない。会社では毎月、売上や利益の状況を社員と共有している。その数字を見たうえで、「だから、これをしなさい」と行動を一つに決めるのではなく、「こんなふうになったらええな」と、進みたい方向を話す。
すぐに達成すべき数値を細かく置くと、届かないことへの焦りが生まれ、うまくいかない方法を続けることもある。孝橋さん自身、経営計画をつくり、さまざまな経営の学びの場へ足を運んだ時期があったという。その経験を経て、いま大切にしているのは、目の前の数字を知りながら、まだ形の定まらない「こうなったらええな」を持ち続けることだった。
「目標をください」「何をしたらいいかわかりません」と社員から言われたこともある。余白を渡されることは、いつも気楽なことばかりではなく、自分で考えるしんどさも含んでいる。それでも、社長が決めた枠のなかで正解を探すだけでは、一人ひとりの関心から生まれる仕事は育ちにくい。孝橋さんの「ふわっと」は、方向を失うことではなく、まだ見えていない可能性が入ってこられる余地を残すことなのだろう。
声優になりたいという言葉から 新しい仕事が生まれる
ある社員から「社長、話があるんです」と声をかけられたとき、孝橋社長は、会社を辞めたいという相談かもしれないと思った。社員の口から出たのは、声優になりたいという希望だった。東京へ通って学びたい。ただ、いまの仕事も続けたいという。
孝橋社長の返事は、「ええやん」だった。
声優になるためには、どこへ行き、何を学ぶのか。東京へ通うあいだ、会社の仕事をどうするのか。話を進めるうちに、社員は自分で方法を考え、夜行バスを使って移動し、仕事の予定を調整していった。顧客にも事情を伝え、やがて顧客の側も、担当者が声優の勉強をしていることを知るようになった。顧客が展示会で使う動画の音声について、その社員へ相談が寄せられることさえあったという。
会社が「認めてあげた」という話にすると、ここで起きていることの大切な部分を取りこぼす。本人のなかには、声優になりたいという希望も、いまの仕事を続けたいという意思も、すでにあった。孝橋さんがしたのは、そのどちらかを選ばせることではなく、「そのままで、どうしたらできるか」を一緒に考えることだった。
「ええんちゃう。けど、今の仕事とどうして両立するの?」
この問いを本人へ返すと、やりたいことだからこそ、本人が考える。会社が先に条件を並べるより、自分で調整し、必要なところで周囲へ相談する。やってみて初めてわかることも、次の相談の材料になる。孝橋さんは、「やってみなわからへんけど、やってみたら普通になった」と振り返る。
社員の希望が会社の外だけに置かれず、仕事をする相手にも少しずつ知られていったことで、声優の学びは本業と競い合うものから、新しい仕事を生む力にもなっていった。自分の人生で大切にしたいことを職場に隠す必要がなければ、その関心は本人だけの趣味にとどまらず、会社がこれまで持っていなかった役割や関係へとつながることがある。
もちろん、希望を口にすれば、すべてがそのまま実現するという話ではない。納期があり、顧客との約束があり、身体が動ける時間にも限りがある。だからこそ、最初の返事が「できるか、できないか」を決める結論ではなく、「どうしたらできるか」を考える入口になる。孝橋さんの会社では、社員の人生を会社が引き受けるのでも、本人の努力だけに任せるのでもなく、本人が主語になって組み方を考え、会社と周囲が動けるところを動かしている。
また他の社員は、自分の好きなアニメに関わる商品づくりにも動き始めた。仕事が落ち着いたときに「アニメに関わる商品をつくりたい」と話し、出版社へ連絡を取り、キャラクターを使った商品をつくるにはどうすればよいかを尋ねた。放送時期や作品の動きを見ながら扱う作品を決め、版権元との確認を重ね、送られてきた膨大な場面写真から一場面を選び、アクリルスタンドとして形にしていった。
千点以上の場面写真を確認し、そのなかから一つの場面を選ぶこともあったという。主人公が大きく描かれた、誰にでもわかりやすい場面が選ばれるとは限らない。作品を深く見てきた人だからこそ心に残っている表情や、物語の流れを知る人ほど大切に感じる一瞬がある。商品が発売されると、購入した人から「よくぞ、このシーンを切り取ってくれた」という趣旨の反応が届いた。
孝橋社長は、その言葉から、社員がつくっていたものの意味をあらためて知ったという。机の上に置かれた一つのアクリルスタンドが、ある人にとっては、しんどい日に目を向けるものになり、「この人ならどう考えるだろう」と思い出すきっかけになり、もう一度動くための力になる。印刷したプラスチックを販売しているように見える仕事の先で、人の感情が動き、その人の一日が少し変わっている。
「ただのアクリルのプラスチックに印刷して、ものを売ってんじゃないな」
孝橋社長は、ものづくりの先にある「ことづくり」という言葉を使ってきたものの、その意味を社員の仕事から教えられたと話す。会社に戻ってから学び続けた「ええ商品」とは、こういうことなのかもしれない。つくり手が何を売りたいかから始めるのではなく、誰かが大切にしているものを受け取り、その人の気持ちに触れる形へ整える。好きな人だから見つけられる一場面があり、その深さを受け取る買い手がいる。
本人は、夜遅くまで作業することもあった。「好きなアニメ作品の場面写真チェックをすることができて楽しい」と話しながら、翌日の仕事へ響くところまで来れば切り上げる。ここにある熱量を、「好きな仕事なら長時間働ける」という美談へまとめることはできない。大切なのは、好きなことが仕事のなかへ現れ、その仕事に対する具体的な反応を本人が受け取れることである。売上という数字だけでは届きにくい「受け取ったよ」という声が戻るから、本人の力がまた動き始める。
好きなことは、本人だけを満たすものではない。それを仕事として届けるためには、権利元とのやりとりも、膨大な場面写真の確認も、細かな色やデザインの調整も、製造と販売の段取りも要る。楽しい気持ちと地道な仕事が同じ場所にあり、その両方が誰かの喜びへつながるとき、孝橋さんの言う「心地よい循環」が生まれる。
十日間の北海道と 手放してみた朝礼
別の社員は、秋の連休に一週間から十日ほど休み、北海道へバイクツーリングに出ると話した。孝橋さんは、「ええですやん」と返し、「北海道のどこを回ります?」と一緒になって旅の話を聞いた。本人は、出発までに必要な仕事を終え、休んでいるあいだに仕事が残らないように調整していた。顧客も旅の予定を知っており、「北海道へ行くんですか」と声をかけてくれたという。
「聞いてるこっちも嬉しなるし、言ってる本人も、もうめっちゃ楽しいらしい」
この休みに、特別な名前はついていない。対象者や取得率を定める制度として用意されたものでもない。本人には、こう過ごしたいという希望があり、そのために何を終え、誰と調整すればよいかも見えている。孝橋さんは、「もう全部、本人のなかにあるんですよね」と話す。会社が新しい考えを足す前に、その人のなかにあるものを受け取り、「それでええやん」と言う。
社員が十日間休むことを、会社だけで成り立たせているわけでもない。顧客との日頃の関係があり、予定を伝えられる空気があり、仕事を前倒しできる段取りがある。社員の希望を仕事の外へ隔離せず、関係する人たちと共有することで、周囲もその人の人生に少し参加する。そこには、休む人と穴を埋める人を分けるより、仕事をともに成り立たせる人たちが、予定を持ち寄って調整する風景がある。
キャリアブレイクという言葉を聞くと、会社を離れる期間や、長期の休暇制度を思い浮かべることが多い。けれども、自分の時間を生き直す節目は、退職や長期休業という大きな形だけで訪れるものではない。十日間の旅も、東京へ通う夜行バスも、自分が大切にしたいことへ時間を使い、戻ってきたあとの働き方を少し変える。会社に在籍したまま人生を動かせる経験が重なれば、働くことと自分の人生を生きることは、同じ時間のなかに置けるようになる。
孝橋さんが会社へ入ったころ、社長が前に立ち、社員が並ぶ朝礼があった。社員が円になり、毎日一人ずつ話す機会を設けた時期もある。一般的によいとされる経営の方法を学び、自社へ取り入れようとして、さまざまなことを試してきた。
一方で、指示を受けた社員が、そのとおりに動いた結果をまた問われ、次第に自分で動きにくくなる姿も見てきた。言われたとおりにしても、別の理由で注意される。自分で判断すれば、その判断を問われる。そんなやりとりが積み重なると、人は次の指示を待つようになる。孝橋さんは、先代が毎日のように「しんどい」と話す姿も見ながら、指示する側も、指示される側も力を失っていく関係に疲れを感じていた。
大きな転機になったのは、コロナ禍だった。感染の危険を避けるため、朝礼や定例ミーティングをやめ、通勤時間をずらすために勤務時間も短くした。やめてみると、仕事はそのまま動いた。必要な人が、必要なときに、必要な相手へ話せば、出荷も製造も進んでいく。全員を毎朝同じ場所に集めることが習慣になっていただけで、日々の仕事に欠かせないものではなかったことが見えてきた。
勤務時間は一日およそ一時間短くなり、賃金は以前のままとした。しばらくして会計に詳しい人から、一日一時間の短縮は一週間で五時間、一年を通せばおよそ一か月分の労働時間に相当すると指摘された。社員と「売上が低いのはそのせいか」「一か月働いたら売上が上がるんか」と冗談を交わしたものの、以前の時間へ戻す話にはならなかった。
孝橋社長が考えたのは、仕事量を増やして売上を伸ばすことより、いまの負荷のなかで、付加価値の高い仕事を増やせないかということだった。アニメの商品づくりや自社商品が育てば、同じ時間のなかでも、人により喜ばれ、会社にも対価が戻る仕事へ変えていける。「このままの状態で利益が上がる方法になったらええな」。その言葉には、短くなった時間を効率で埋め直すより、仕事の中身を育てたいという思いがある。
朝礼をやめることも、勤務時間を短くすることも、あらかじめ完成した経営計画から導かれたものではなかった。目の前の状況に合わせて試し、仕事が動くことを確かめ、心身の軽さも知り、そのまま残した。孝橋さんの会社では、何かを加えることだけが改善ではなく、続けてきたものを一度手放し、残るものを確かめることも、会社を整える方法になっている。
何も足さない 何も引かない そのままでええ
社内の役割も、職種や肩書だけで整然と分けられているわけではない。機械を扱うことが好きな人に営業を求め、営業が得意な人に機械操作を任せるのではなく、それぞれが持っている得意なことを中心に仕事が組み合わされていく。細かな確認が得意な人が経理を担い、乗り物を運転することが好きな孝橋さんが、忙しい社員から頼まれてトラックで荷物を引き取り、リフトで荷下ろしをすることもある。
売上へ直接つながる仕事だけが、会社を支えているわけではない。細かな作業を苦にせず、正確に進める人がいるから、ほかの人は自分の仕事に集中できる。その仕事が誰を助けているかが周囲に伝わり、「助かるわ」と返ってくれば、得意なことは役割になる。細かさを煩わしさとして扱えば関係はギスギスし、得意として受け取れば、同じ行為が会社を支える力として見えてくる。
孝橋さんは、昔の広告のキャッチコピーを思い出しながら、「何も足さない、何も引かない。そのままでええんや」と話した。
人は、これから会社が能力を足して完成させる存在というより、好きなことや得意なことを、すでに持っている。その人の自然な部分が仕事の場で表に出せるなら、それは誰かの役に立ち、会社の仕事にもなる。孝橋さんが細かな指示を減らしてきた背景には、指示によって人を動かすと、その人が本来持っていた考えや力が、指示の枠に収まってしまうという実感がある。
この考え方は、仕事の技術だけに向けられているわけではない。年齢を重ね、家族のことや介護、心身の調子などによって、働ける時間や担える仕事が変わることもある。機械を担当する人が一時的に離れるなら、別の会社へ仕事を頼むこともできる。別の方法で補い、戻ってきたときにまた役割を組み直すこともできる。人を固定した持ち場へ置き続けるより、変化を含んだ一人の人生として見れば、仕事の側にも動かし方が見えてくる。
孝橋さんは、このあり方を完成された仕組みとして語らない。評価制度を整え、すべての仕事を社長が把握し、数値目標で進捗を追う経営から見れば、不確かさもある。会社の経営には厳しい場面があり、アニメの商品が会社全体を支える柱として完成しているわけでもない。その現実を含んだまま、「何の仕組みも、何の再現性もなく、ふわっとしてます」と笑う。
けれども、その「ふわっと」は、責任を曖昧にする言葉ではない。顧客の困り事を聞き、約束した仕事を納め、社員同士で必要な相談をし、長い時間をかけて事業を続けてきた土台の上にある。土台があるから、社員の希望をすぐに経営上の危険として閉じるのではなく、どう組み替えればできるかを考えられる。孝橋さんの柔らかさは、仕事を軽く見ることではなく、人も仕事も自然に自然体で動き続けるものとして扱うための柔らかさなのだと思う。
人が人生を動かすとき 会社にも動ける余地を残す
キャリアブレイクは、会社を辞め、新しい道を探す人だけのものではない。働くことと自分の人生のあいだに節目をつくり、休み、学び、旅をし、別の関心へ手を伸ばしながら、続けたい仕事を健康的に続けていくための時間でもある。
孝橋社長の会社で起きていることには名前がついていない。声優を目指して東京へ通うことも、好きなアニメの商品をつくることも、十日間北海道を旅することも、制度の利用実績として数えられてはいない。それでも一人ひとりにとっては、仕事を続けながら自分の時間を取り戻し、これからの生き方を試す節目になっている。
制度は、誰もが安心して休み、立ち止まるための大切な土台になる。同時に、制度の言葉だけでは捉えきれないものが、日々の応答のなかにある。社員が「こうしたい」と話したとき、会社は何と返すのか。予定どおり働けない時期が訪れたとき、これまでの役割や仕事の流れをどう動かすのか。一人の希望を特別扱いとして閉じるのか、その人と周囲が一緒に考える機会として受け取るのか。そうした小さな判断の積み重ねが、その会社で人生の話をしてもよいかどうかを決めていく。
孝橋社長が大切にしているのは、社員の希望を会社がすべてかなえることでも、自由という言葉のもとで本人へすべてを任せることでもない。本人が自分の「こうしたい」を話し、そのために必要な調整を考え、周囲へ助けを求める。会社は、その言葉を最初から仕事への不忠実さとして扱わず、試せる余地を残す。そこで生まれた仕事や喜びから、社長もまた学び、会社の考え方を変えていく。
インタビューの終わり近くで、孝橋社長は長い歴史を持つ日本の企業について話した。細かな制度や新しい経営手法が言葉になる以前から、先代の振る舞いや、近隣との付き合い、日々の仕事のなかで、人と会社をつなぐ知恵を守ってきた企業があるのではないか、と。本人たちに尋ねても、「先代がそう言うてはったんですわ」としか説明されないかもしれない。けれども、その言葉になりきらないもののなかに、会社が長く続いてきた理由が宿っている可能性がある。
企業文化は、理念として掲げた言葉や制度の一覧だけでできているものではない。「声優になりたい」と言われた日の返事、十日間旅へ出る人と交わした会話、朝礼をやめたあとに元へ戻さなかった判断、忙しい社員に頼まれて社長がトラックを運転する日。そこで誰が主語になり、何を動かし、何をそのまま残したかという記憶の重なりが、その会社らしさをつくっている。
私たちが企業の声を聴くのは、どこかにある正解を見つけ、同じ方法を広げるためではない。現場ですでに行われていることに目を凝らし、まだ名前のついていない実践を、その固有性を失わない言葉として残すためである。ある会社の話は、そのまま別の会社の答えにはならない。それでも、自分たちなら目の前の一人へ何と返すだろう、と考えるための問いにはなる。
人が自分の人生を動かそうとするとき、会社もまた、働く人とともに、時間や役割や仕事のつくり方を少しずつ変えていく。孝橋社長の「ええやん。どうしたらできる?」という言葉は、キャリアブレイクを文化にすることが、制度の名称よりも先に、目の前の人が持ってきた希望を受け取るところから始まることを教えてくれる。
人が動くとき、会社も動く。その小さな動きは、特別な制度の名称よりも先に、目の前の一人へ返す言葉から始まっている。
2026年10月19日
PARTNER

孝橋 悦達(たかはし よしのぶ)
株式会社明成孝橋美術 代表取締役 / 文部科学省認定 印刷専門士
大阪産業大学工学部を卒業後、スバル自動車を経て、明成孝橋美術に入社。現在は代表取締役を務める。パッケージや販促品の企画デザイン、特殊印刷加工のほか、産学連携による商品開発を強みとする。 ヒット商品の仕掛け人・伊吹卓氏に師事し、商品開発のノウハウを吸収。商品開発のインカレ「Sカレ」では、学生たちを数々の総合優勝・準優勝へと導き、多くの若者の可能性を開花させてきた。 現在は、都市(大阪市)と自然(淡路市)の二拠点生活を実践。「イメージすればなんでもできる」をモットーに、バイクやカイトサーフィンなどのアクティブスポーツを愛する。 自身の名前にある「悦」の字の通り、関わるすべての人に本当の意味での“悦びの循環”が生まれる世界を目指す。自然体で本来の自分を取り戻すリトリートツアーのナビゲーター、ホリスティックライフコーチとしても活動中。
WRITER

卜部 小夜子
月刊無職, mada books運営 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所 理事
2020年合同会社うみのなか商店設立。障害の有無にかかわらず、"誰もが健康的にはたらく暮らしができる社会"を目指し、おしゃべりできる図書室「あかり図書室」、就労事業所とともに世界に通用するブランドをつくる「北浜縫製」を運営。2022年より一般社団法人キャリアブレイク研究所に設立時理事として関わり、離職・休職をポジティブに捉える「キャリアブレイク」を文化にする活動を行う。毎月6日に発刊する『月刊無職』、"まだの時間"を楽しむ書店「mada books」の企画運営を担当。精神保健福祉士、就労福祉ワークデザイナー、産業カウンセラー。
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